~干し菊の歴史~
- Mika Iwaki
- 2016年1月22日
- 読了時間: 1分
青森県南部町では菊の収穫期に花びらをバラバラにし、それをのり状にして
蒸し、乾燥させて干し菊にするのが主流です。

この干し菊は南部町の名川地区が発祥といわれています。
それまで生食でのみ食べられていたものを、旧名川町東円寺の板橋太観住職
が干し菊として開発し、明治30年ころに清光寺の高山恵輪住職が普及させたと
いわれています。
今も干し菊の文化は南部町に根付いており、ほとんどが干し菊に加工されて流通
しています。
この蒸す作業はもちろん手作業、機械なんてありません。だから膨大の時間と手間
がかかるのです。

これは自宅で蒸す釜を持っている方のところでお手伝いをさせていただいた時の様子。

ひとつひとつ手作業で丁寧に作っていきます。
南部地方は昔米がとれなかったため、干す・漬けこむなどの保存食の文化が根づいて
います。干し菊もその一つ。昔の人の知恵で年中食べられる干し菊がつくられたのですね。
軽くて持ち運びやすく、賞味期限も長い干し菊。南部町に来た際はぜひお土産にどうぞ。
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